大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

新潟家庭裁判所六日町支部 昭和36年(家イ)4号 命令 1961年11月18日

申立人 大沢昌夫(仮名) 外四名

相手方 大沢茂治(仮名)

参加人 大沢多三郎(仮名) 外一名

主文

本件調停事件が終了するまで

一、申立人正則及び相手方茂治は、別紙目録記載の建物(現住家屋)から速やかに(遅くとも昭和三十六年十一月三十日までに)立ち退き、且つ今後本件相続財産並びにその果実(自然及び法定のものを含む)を他に搬出し又はこれを他に売却譲渡し、担保に供し、もしくは毀損する等一切の処分をしてはならない。

二、申立人ミノ、同ヒサ子及び参加人多三郎は共同して、本件相続財産を管理し、その収益をもつて申立人昌夫及び同和夫を扶養し、且つ申立人正則が前項の命令に従い退去した場合には、その退去後五日内に、同人に対しその当座における生活費として金参万円を支給すること。

(家事審判官 坪谷雄平 調停委員 岡部岩雄 調停委員 発地操)

注意 当事者がこの命令に従わないときには金五千円以下の過料に処せられる。

(別紙目録)省略

事件の実情及び本処分をするに至つた経過

申立人ミノは、被相続人大沢信一郎の妻であり、その他の当事者はいずれも申立人ミノと右信一郎との間の嫡出子であつて、昭和二十三年三月二日被相続人の死亡に因り本件当事者全員のために相続が開始したものである。そうして、本件参加人田口フサ(被相続人の長女)において被相続人より相当額の生前贈与を受けたので相続分のないことを承認する旨の書面を添付して(しかしフサ自身は関知しないことであるという)相続不動産につき、その余の相続人七名のために相続登記を経由しておいたところ、その後兄弟間に紛争を生じ、その結果昭和三十三年十一月十八日参加人多三郎(被相続人の長男)から共有財産(前記相続登記をした不動産につき)分割請求と、別に遺産分割請求の調停を同時に申立てて来たので、当裁判所は右二件を併合して調停手続を進めた結果、昭和三十四年十一月十一日相続財産の一部を申立人である多三郎の単独所有として分割し、その残り全部を相手方全員(本件の申立人及び相手方の全員)の共有としておくことの合意が成立したので、前記調停事件も一応解決した次第である。しかしこの調停には、共同相続人の一員である筈の前記田口フサが参加しないままで終結したのみならず、成立した調停条項に基き、長兄多三郎がその妻子を連れて相手方等と別居することになり、生家から退去したので、さきに妻の氏を称する婚姻に因り他家に行つて居た本件相手方茂治(被相続人の二男)が妻子を婚家に残して単身実家に入り込み恰も長兄多三郎の退去した後の世帯主気取りで振舞い始め、のみならず自分の収入(国鉄職員として勤務中のもの)を家計に少しも繰入れないところから、母ミノ(本件申立人)を助けて家業(農業)に従事して居た申立人正則(被相続人の四男)が不満を懐き、兄茂治と反目抗争することになつたので、同人を正則等の家庭から追放して、妻子の居る婚家に復帰させる意図をもつて、申立人正則が母ミノ及び他の兄妹等をかたらい、再び相続財産の分割請求をするに至つた次第なのである。

そこで当裁判所は、調停委員会を開き手続を進め、その間、事実の調査をして、前に成立した調停に参加しなかつた前記田口フサにおいて、本件相続につき放棄の申述をした事実もなく、又他に別段失格したと認められる事実も見当らないので、当裁判所は、共同相続人の一員である右フサを除外して成立させた前記調停を無効なものと認め(昭和三十二年六月二十一日家庭局長回答家庭裁判月報九巻六号一一九頁参照)、田口フサ及び前記多三郎の両名を本件調停に参加させた上、更に遺産の再分割をする趣旨のもとに調停を試みた。すると本件申立人ミノ、同昌夫(彼相続人の三男)、同ヒサ子(被相続人の二女)及び参加人フサは、相手方が欲するならば、その相続分相応の財産を同人に分割取得させて婚家に戻らせ、又申立人正則には相続分相応の家を建ててやつて独立別居させ、参加人多三郎が生家に戻つて、申立人正則及び相手方茂治に分割取得させた分を除く残りの相続財産全部を承継し、病身のため働くことのできない申立人昌夫と○○高等学校に通学中の申立人和夫(被相続人の五男)を扶養し、又申立人ミノの老後の世話を引き受け、且つ申立人ヒサ子が将来結婚するとき、分相応の仕度をしてやつて貰うことにして解決したいと希望した。そうして申立人正則もこの案に同調することにしたので、相手方茂治においても漸くこれを納得したところ、参加人多三郎は前の調停により、妻子とともに生家から追い出されることになり、妻の父の援助等によつて漸く生活も安定するに至つた過去の事情等もあつて、母や弟妹たちの右提案を直ちに承諾することはできないと、一応拒否するに至つた。しかし当裁判所調停委員会としては、病身である申立人昌夫の将来を案ずる申立人ミノ及び参加人フサ等の切なる願いでもあるので、右の案、又は右の案に近い妥協案で解決をはかるのを相当と認め、更に参加人多三郎及びその妻並びにその実家の人々をも説得し、その間の調整をはかると同時に、当事者各自の相続分に相当する財産額を算出するためにも、相続財産の価格を鑑定させる必要があるので、今後早急に事件の解決をみることは困難である。

ところが事件の早急解決を熱望する申立人正則は、これに失望するとともに、同じ家に居る相手方茂治との間の反目抗争が次第に激しくなり、遂に自暴自棄となり、真面目に働かず、家から金銭又は米等を持ち出し、酒を飲み歩き、それを非難されるや、母ミノや妹ヒサ子等に当り散らし、又暴力を振うことさえあるので、申立人ミノ及び同ヒサ子等において、不安な毎日を過して居る状態であるとのことである。

以上のような状態で推移することは、本調停の進行上、大きな支障となること明らかであり、これを防止するためには、同じ家に居て互に張り合つて居る申立人正則と相手方茂治の二名を取急ぎ退去させることが緊急を要するものと認め本処分を命じた次第である。

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例